母が癌になった(8)

2016年9月


母が外陰癌と診断されました。


家族で話し合った結果、後悔のないよう


大きい病院で治療をしてもらう事に決め、


地元の大学病院から紹介状をもらい、


国立病院の初診の予約をとりました。


それが、2016年11月。





その国立病院は、家からドアツードア


90分程と少し遠いのですが、


まぁそれ位は仕方ないです。





会社からは乗り換えなしで30分ほどなので、


直行するには 近くて便利ですかね。






簡単な手術では無いのは明らかだったので、


病院への通院時間は多少は我慢です😞








私は、車の運転は自信がないので


母を連れて電車で通う事になります🚃








大変な事はいくつかあって、



まず 、



仕事を休むこと。(毎度毎度は結構ツライ💧)





初診、検査、再検査、検査結果説明、など



手術以降もほぼ私が付き添いました。





この時期はまだ母も自分の足で



歩けていましたが、



身体的にも精神的にも良くない状態でした。





病気のせいか疲れやすくて

(母は元々体力が無いほうです)



電車では、特に帰りなんてもう



ヨレヨレ状態😣😣







そして、本人が何よりも辛いのは



患部の痛み😭😭😭😭😭



これは何もしてあげられず、可哀想でした。





歩くにも座るにも




『イタタ、、、』




『ヒーッ、、イッタタタ、、、』




と痛みでとても辛そう。



そのせいもあって精神的にも不安定でした。







うちの母は


非常に痛みに弱く、


異常〜〜に心配性で、、


どちからというと


世間知らずの奥様な感じです。






聞いたこともない病名に


困惑し、恐怖を感じ、どんどんと悪い方へ


考えてしまっていました。







また、それとは裏腹に

(又はそんな性格のせいなのか)



担当の医師によくお願いすれば、


どんな病気も治してくれるはず


何か特効薬があるはず




なんなら 信じていれば叶う   (え!?)





といった、若干信仰じみた 痛い面があり



この部分でこの先も、本人含め周りも



とても悩み、振り回される事になりました。






辛い痛いは 母しかわからないですが


不安であることは痛いほどわかります。


なるべく寄り添って、


あとはもう一緒に乗り越えるしかないです!





そんな感じで、何度か通院を繰り返し、


2016年12月


検査の結果が説明されました!








本人も我々も一番心配だった転移について。







(ちなみに、最初に診断された


大学病院では時間のロスを省くために


詳しい検査までは行いませんでしたので


転移があるか無いか、


はっきりとしていませんでした。


手術する病院でどうせ一から検査し直します


からという事で。)












結果


⑴左鼠蹊部リンパ転移あり


⑵他は無さそう









えっ、、、、、、、、、、、、。










癌、転移してる。。。。?








リンパに。。???












これはもう本当にショックでした。

残念でならなかった。













そして、



これもまた本人も我々もとても心配していた



手術迄の月日の件ですが、





2016年11月に初診の予約をとって



12月に結果を聞き



結果 



2017年1月後半が手術となりました。




担当医には、なるべく早く手術できるように


急ぎますが、年末年始もあり


他の患者さんの手術で埋まっていて


最短でそれです、と。






一ヶ月以上も先なんて😭









長いなーーっ😭😭😭😭😭💦


先過ぎる!!!


年末年始のバカヤロウ😭😭😭😭💦







これは大病院を選んだ患者の定めでしょう


か?






確かに患者さんは全国から来られているよう


で、病院はとても混んでいます。


駐車場にとまっている自動車のナンバープレ


ートを見るといつも驚きます。



ただのお見舞いの方もいるでしょうが


都外や地方から来てる方が


とても多いです。




それだけ病院では 患者さんで溢れかえって


いて、そうするときっと手術の順番待ちも


一ヶ月以上はかかるんですね。







転移がありますと説明を受けてから





一日千秋の思いで





ジリジリと手術日を待つ。。







どんな人でもこれは嫌ですよね💧







病名も


手術内容も


特殊過ぎて不安でしかなかったです。




母の気持ちを思うと、可哀想だなぁ😣


なんとか取り切ってもらえるといいなぁ😣


と思っていました。







母には


寄り添ったり、笑い飛ばしたり、


なるべく前向きになってもらえるよう


接していました。






ただ、私の下の子がまだまだ小さかった事も


あり、いっぱいっぱいだった私は


母のフォローは全然足りていなかったと


思います。




今思えば、これは、、、


うーん、どうすれば良かったかなあ💦


でもあれが、当時の私の精一杯だったかも


、、、。


ごめんねママ。








思い返してみると、





癌の宣告の時点から既に





母の精神の崩壊が始まっていたようです。










不安症の内ではありますが、




物忘れなんて言うレベルではない、




極度の記憶力の低下が著しかったのです。









病気になるって、


当の本人だけではなく


家族も一緒になって思い悩んで


デリケートになっていくものなんですね。








特に私は、頼ってもらえるような


懐の深い人間ではないので


本人と一緒になって不安になってしまいま


す。


多分ここがダメなんだと思います。





不安なのは本人だけで充分、


私は受け止めて 良い方向に気持ちを転換し


てあげないと、、


少しでも前向きになるように、


もっと母に優しくしてあげないと。。


そんな風に思います。











次は手術の方法を書きたいと思います。










つらつらと分かりづらい文章でありますが

最後まで読んでいただきまして

ありがとうございます。

 m(_ _)m